オタク文化の未来 | いま、蒼い小道で。

オタク文化の未来

何年か前――正確な時期は分からないが、少なくとも、
私がいわゆるオタク系のメディアに親しみはじめた(あるいは興味を持ちはじめた)
2000年頃(高校一年)にはまだ、
オタク系の趣味は世間一般から嫌厭される立場にあった。

あれから5年。

昨今の「電車男」を始めとするオタクブーム?によって、
その業界、というか「世界」の一般認知度も高まってきた。
今日の夜放送されていたTBS系の「NEWS23」でも、
秋葉原の特集が組まれていた。
それを観て私は「オタクへの偏見」も、
当初に比べれば随分こなれてきたなぁと感じました。

まぁこの特集が秋葉原やオタクに対して
随分と前向き・好意的に構成されていたから、
こういう感想を抱くのも至極当然だけど、
そういう方向性のVTRを流す許可が下りるようになったという
事実だけでも十分注目すべき点です。

そもそも「オタク」という用語がメディアによって広く世に広まったのは、
1988年に起きた「東京・埼玉幼女連続誘拐殺人事件」の事件報道によるもの。
このときに強い偏見と差別の意をもって「オタク」と報道されたのが、
昨今までの「オタク」のネガティヴな固定イメージ定着に強く関わっているものと思われます。

そのメディアが現在では、「オタク」を好意的に(あくまでも一部、それとなくではあるが)
解釈した報道をしているのだから、皮肉だとしか言いようがない。

まぁメディアというのは世間の流行や金によって動き、
また世間もその流れに従う魚のようなものなのは既知のことであるし、
そのことに対して論議するのが本文の目的ではないので、
ここではこれ以上言及しません。

ともかく、今やオタクの世界というのは世間から隔離されたものではなく、
徐々に(本当にゆるやかに)一般へと浸透しつつあります。
この流れは今だけの一時的なものなのか。
それともこのまま「萌え」などの趣味が、
一般ジャンルとしてカテゴライズされるのか。

あと5年。

5年もあれば、明確ではなくともおぼろげに、
その方向性が見えてくると思います。
流行の行く末を見極めるのは本当に難しいので、現状ではまだ何とも言えません。

ただ言えるのは、「世間がオタク趣味を受け入れるかどうか」
の瀬戸際に、いま日本は立っているのだということです。
これまで差別され続けてきたオタク文化は
世間にとって「異文化」だと言い切ってしまうなら、
かつてペリーが来航してきた鎖国時代の日本と重ね合わせると分かりやすいです。

外国の諸国(おもに欧米)=オタク文化、或いはその世界
ペリーの来航=大規模オタクブームの到来
開国か、鎖国継続か=世間はオタク趣味を受け入れるか、否か

かつてペリー来航によって開国をした日本人の生活は、
時を経て欧米化の一途を辿ることとなりました。
しかし私は何もオタク趣味に日本全体が染まれ、とは言いません。
そんなことになったら逆に嫌です(笑)

ただ、あるスポーツに没頭したりとか、
ピアノが大好きで毎日弾いていたりする人間がいるように、
そういう趣味に没頭する生き方もあるのだ、ということを
差別することなく受け入れて欲しいだけなのです。

私の知人に「オタク(主に萌え系の)が嫌い」という人がいます。
じゃあなぜ嫌いなのかと理由を聞けば、
「うーん、なんかイヤだ」
隠れオタクでこの発言を聞いている私は苦笑いするしかないのですが、
この支離滅裂で論理性のカケラもない発言がまかり通る――あるいはその可能性がある。
それがいまのオタクの現状です。

他人の趣味を受容する義務などないなら、批判する権利もないはず。

別に胸を張れなくてもいいから、躊躇うことなく自分の趣味を他人に話せる。
そして違う趣味の人とも、双方の話を交えて語り合える。
そんな未来がくるかもしれないと少しでも思うのは、
私の愚かな希望的観測に過ぎないのでしょうか。